HISTORY
誉田屋源兵衛は京都室町で
創業280年を超える
「帯の製造販売」の老舗
現在は十代目である山口源兵衛が、代々受け継がれてきた技術とともに
「革新」の精神をもって、着物業界に次々と作品を発表しています。
社名の「誉田」は「こんだ」と読ませますが、その読みは遠く応神天皇陵の「誉田八幡宮」に同じです。
- 1738年
- 元文年間、初代矢代庄五郎により、南矢代誉田屋創業、西陣大火災後の復興に尽力。
- 1868年
- 明治元年、6代目矢代庄五郎より、京都松尾出身の山口源兵衛が7代目を継承。初代誉田屋源兵衛を名乗る。西陣帯地大元卸商として「横綱」の称号を得る。
- 1905年
- 三条室町下ル(現住所)の土地を購入。
- 1917年
- 大正6年、7代目誉田屋源兵衛没、8代目誉田屋源兵衛襲名、継承。
- 1919年
- 8代目が10年の歳月をかけ、自己の精励刻苦の記念碑として手がけた現社屋完成。
- 1933年
- 昭和8年、8代目誉田屋源兵衛没。9代目誉田屋源兵衛襲名、継承。
- 1981年
- 9代目誉田屋源兵衛没、現10代目誉田屋源兵衛襲名、継承。後、帯作りに専念。
- 1985年
- 全国の原始布を素材として個展を開催。以後、インド、東南アジアの野蚕糸を帯に用いる。
- 1994年
- 京都六条の江戸末期の町屋にて創業260周年展。
- 1999年
- 「京都誉田屋源兵衛帯ときもの展」開催。
- 2000年
- 「誉田屋源兵衛 織りの帯展」開催。
- 2002年
- 「かぐやこの繭小石丸展」「誉田屋源兵衛~最高級の唐織の帯・小石丸の絹・幻の紙布~文献をもとに飾る」展開催。小石丸企画に対して日経MJ賞受賞。日本の原種の繭である小石丸の復活と継続、日本の染色技術の活性化に努める。
- 2003年
- 日本文化デザイン大賞受賞。「室町・桃山時代の衣装文様の意味世界」の研究会発足。「誉田屋源兵衛の帯展~金色の絹・マハラジャンシルク(天蚕)を加えて~」開催。
PROFILE
十代目 山口 源兵衛 | やまぐち げんべえ
- 1948年
- 京都市中京区室町生まれ。
- 1957年
- 結核病棟に入院中、読書好きに。
- 1971年
- 大阪・船場と新潟・十日町で修業。
- 1975年
- 正倉院展の「糞掃衣」に衝撃を受け、帯の創作を始める。原始布を求めて、東北から沖縄まで訪ねる。
- 1979年
- 父の死去を受け、翌年、十代目誉田屋源兵衛襲名。父の借金返済のため朝4時起きで自ら日本全国を営業して歩く。
- 1985年
- 原始布を素材とした個展開催。以後、東南アジアの野蚕糸を帯に用いる。
- 2002年
- 皇居内の紅葉山御養蚕所だけで飼育されていた古代繭「小石丸」の解禁を受け、着物を制作。東京・赤坂の草月会館にて「かぐや、この繭。『小石丸』展」開催。日経優秀賞受賞。
- 2003年
- 日本文化デザイン大賞受賞。金色の絹・マハラジャシルク「天蚕」を用いた帯を発表。前衛舞踏家・田中泯の衣装制作開始。
- 2004年
- 三条誉田屋で古茶家「素夢子」開店。
- 2006年
- 東京の大丸ミュージアムにて、コシノヒロコと隈研吾とのコラボ「襲一墨象色象展」開催。岸和田だんじり祭に初参加。
- 2008年
- ユナイテッドアローズと組み、安土桃山文化をテーマに男の着物を制作。東京コレクションで「傾奇者達之系譜」を発表。
- 2009年
- 田中泯主演の映画「ほかいびと」の衣装を手がけ、平成の「糞掃衣」を制作。
- 2012年
- NHK BS「たけしのアート☆ビート、帯に魂を吹き込む男」に出演。「TOYOTA 86」のイメージキャラクターに。
- 2013年
- 新居浜太鼓祭りに初参加。
- 2014年
- 画家・松井冬子の絵を帯で表現。3月7日、東京・六本木ヒルズでの「ア-トの夜会」にて発表。4月4日、京都・室町の誉田屋本社にて「冬子桜嵐の夜会」開催、同5~8日、一般公開予定。